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近年になりましても、第二次世界人戦によって荒廃した日本を救ったのは、外ならぬ、この海だったと言えましょう。食料の危機を救い、同時に多量の物資をたやすく輸送できる方途をヶえてくれたのも海でありました。日本人は、造船、海運、海洋開発において、まさに独自の技術を開発し、母なる海に養われ、共生する道を遊んだのです。海のない国もこの地球上に多くあることを考えれば、日本のように海に囲まれた国は、その幸運を十分に自覚すべきだと思われます。
この春私は、中央アジアのカザフスタンの奥深くに位置するアラル海を訪れました。私たちの乗ったヘリコプターがアラル海に近づくと、私が何度かハムシーンという名で体験したことのある砂嵐が機体を包むように思ったものです。しかしそれは普通の砂嵐とは少し違いました。それは砂まじりの塩嵐と言うべきだったのです。
アラル海には、アムダリアとスルグリアの二本の川が流れ込んでいますが、それらの川の上流で、米や綿など大量に水を消費する作物を作ったために、アラル海に流人する川の水量はどんどん減り、海は塩分が濃くなって四分の一世紀ほどの間に海はほとんど死にかけていたのでした。
かつて私は次のように教えられたのです。イスラエルを流れるヨルダン川の両岸には豊かな緑が生い茂り、春には野の花が競うように咲くのは、ヨルダン川が、惜しみなく水を与えるからだ。それに対して、海面下四百メートルにあって、ヨルダン川の水を受けるだけで、決して外には水を与えない死海は、蒸発によって年々塩分が濃くなり、瓜も住まず、その周辺は荒野になっている。その荒廃の理由は、死海が決して与えるということをしない湖だからだ、という教訓めいた話でした。
こういう教訓から思うと、海は、人間に与え続けてきました。食料と、水と、酸素と、はるかな海上の道と、そして夢や希望まで人に与えたのです。環境の汚染というのは、すべて強欲と甘えの結果です。私たちは世なる海に抱かれつつ、甘え過ぎてはいけないのです。
今日ここにお集まりの皆様に、改めてお願い申しあげます。私たちと海との双方が、健やかな関係を保つために、どうぞ力をお貸しください。すべての願わしい人間関係が、適切な畏敬の念に基づいているように、海と私たちの間にも、瑞々しい畏れと、生き生きとした親しみの双方が、いつまでも続きますように。それが海を救い、地球を救い、ひいては、人間を救うことになることは明白だからです。
一九九六年七月十六日

 

 

 

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